投稿者: エレン

  • 『家は負債』と知った僕が、20年使ったスマホと保険を見直した

    20年使ったキャリアを解約?スマホ代見直しの衝撃

    動画を観ながら、今僕ができることを探していきました。
    「住宅ローンという重荷を、どうやって軽くしていくか」

    家づくりと同時に、僕はもう一つの大きな課題に取り組んでいくことになります。両学長の発信は、これまでの人生で考えたこともないことばかりでした。

    まずは、携帯電話(スマホ)の見直し。

    「スマホのキャリアを変える……?? 20年も利用してきたキャリアを変えるなんて、そんなの無理だ!」

    最初は本気でそう思っていました。数年前に「格安SIM」という言葉があることは知っていましたし、職場の先輩からも「携帯料金が安くなるから」と勧められたことがありました。

    ですが、当時の僕は「無理です。ないです」と即答。

    その理由は、趣味の登山でした。山では電波が届かない場所がたくさんあります。その経験から、僕が当時使っていたキャリアが「一番山で繋がりやすい」と信じ切っていたからです。山で繋がらない場所を自分から増やすなんて絶対にできない!そう思って今までやってきました。

    しかし……両学長が言っているじゃないか!両学長が!!

    僕は覚悟を決め、初めて長年使ったキャリアを変えました。

    結果——なんともありませんでした。

    毎週のように山に出かけていた僕ですが、子供も生まれ、家を建て始めた今、登山自体に行く機会が減っていました。

    それにむしろ、電波が繋がらない場所があることが、逆に山の良さを深く感じさせてくれるようになったのです。動画を見るより目の前の景色、メールチェックより出会った人との会話。山に行く回数は減ったものの、むしろ以前より楽しくなっているじゃないか!

    そして肝心の携帯料金は、毎月11,000円台からなんと2,000円台へ!
    毎月約9,000円の削減、年間で約108,000円も浮く計算です。

    前のキャリアに20年間もボッタクられていたような気分になり、逆に腹が立ってきたほどでした(あの時教えてくれた先輩、本当にごめんなさい。人の言うことは聞くものですね!)。

    地方銀行からネット銀行へ。奪われていた「時間」を取り戻す

    社会人になった頃からずっとお世話になっていた地方銀行。

    金利はほとんどつかないけれど、毎月振り込まれる給料をしっかり守ってくれる頼りになる存在でした。振込や窓口での各種手続きに時間はかかるけれど、「それはみんな同じ。銀行員さんも一生懸命仕事をしてくれているんだから」と思っていました。

    ですが、両学長は教えてくれました。ネット銀行は店舗がなく対応してくれるお姉さんもいない分、人件費などのコストが削られている。地銀からネット銀行に変えたほうが手数料が安くなり、時間も節約できるのだと。

    「ネット銀行なんて実店舗がないから実態がない感じで怖い!お姉さんがいなかったら、もしもの時に誰に聞けばいいんだ!」

    そう思いつつも……両学長が言っているじゃないか!両学長が!!

    僕は長年使った地銀を解約し、ネット銀行を開設しました。

    結果——超便利。

    コンビニに行けばスマホだけで現金を振り出せるし、振り込みなんて24時間いつでもスマホでホイッ!と完了。残高や入金確認も、したい時に一瞬で確認できます。

    これでどれだけの時間を節約できたか。地銀には悪いですが、今までどれだけ僕の時間を奪っていたんだと思ってしまいました。

    聖域「貯蓄型保険」の解約。手元に戻ってきた450万円

    そして、クレジットカードの選別と、保険の見直し。

    最初は僕の両親がかけ始めてくれた養老保険。いわゆる「貯蓄型保険」です。社会人になると同時にそれを引き継ぎ、気づけば20年。

    「保険は大事」と聞かされ、それを疑わずに信じて生きてきました。45歳満期、それまでは何があるかわからないから、絶対にこれだけは続けなければ!と思っていました。

    ですが、両学長のお言葉はその「聖域」にまで踏み込んできました。

    「毒キノコ(貯蓄型保険)は食べちゃダメ!」と。

    45歳満期まで、あとわずか4年。悩み抜いた末、僕は保険を解約しました。

    しかし!これが僕の人生を変えたと言ってもいいほど効いたのです!

    これまでの積み立てで、解約返戻金として450万円が戻ってきました(満期なら500万円でした)。ちょうど自分の貯金額の低さに途方に暮れ始めていた時期。一気に我が家の貯金は700万円近くになりました。

    手元のお金が増えたというだけで、これほど安心できるのかと、僕は少しホッとしました。

    とはいえ、ここは毒キノコと言われつつも保険屋さんにも感謝でした。もしこの保険に入っていなかったら、このお金も全部趣味(登山など)に消えていたかもしれません……。

    あざっす!保険屋さん!
    とにかく、戻ってきたこのお金は「生き金」にしていくぞ!と心に誓いました。

    「家計の見直し」「夢の家づくり」の矛盾 

    一方で、家づくりの方はというと、担当の営業さんと週1ペースで打ち合わせを重ねていました。

    「3,000万円以内で、まだ大丈夫ですかね……?」

    これが僕の常套句でした。

    「計算してみないとわかりませんが、多分大丈夫ですよ〜」

    営業さんのその言葉に毎回安心し、削られるどころか増えていく家へのこだわりたち。予算内で大丈夫と言われれば、ついつい気が大きくなってしまいます。

    夜な夜なPinterestを見ては「これもおしゃれだな……」と悩む日々。人間とは本当に弱い生き物ですね。

    週1回のペースで対面での話し合い、その間もLINEでひっきりなしにやり取り。「思いついた間取り」や「憧れのキッチン」の写真を次々と送信していきました。

    こうして僕は、「家計の猛烈な見直し」と「夢の家づくりの暴走」という、とんでもない矛盾を抱えることになりました。

    貯蓄は増やしたい。
    でも家には妥協したくない。

    ……かなり無茶苦茶(笑)

    そしてここから、長い奮闘の日々が続きます。

  • 『家は負債』と聞いた日。僕は初めて家づくりを勉強し始めた

    契約直後に襲ってきた『家は負債』の衝撃

    「家は負債」

    家を建てている最中に、突然こんなパワーワードを聞かされたら驚きますよね!しかもついこの間、工務店で本契約を交わしたばかりですよ!浮かれて説明もほとんど聞いていなかったのに……。

    テレビでこの動画観ていた時、妻は仮住まいの狭いシンクでガシャガシャと食器を洗っている最中でした。

    (今の聞こえた……?聞こえなかった??)

    妻の様子を気にしつつも、僕の鼓動はしばらく落ち着きませんでした。頭が真っ白になるほど、この言葉のインパクトはとんでもないものでした。

    しかし、リベ大の両学長も何の根拠もなくそんな言葉を使っているわけではありませんでした。よくよく動画を観ていると、家の全部が全部「負債」というわけではないようです。

    その土地の地価が上がれば、それは資産になる。でも、建物は基本的に時間とともに価値が下がっていく。ということでした。

    つまり、今この地方都市で建てている僕の家は……。

    「そんな考え方、ありか……?」

    なぜこのタイミングでこんなYouTubeを観てしまったんだろうと、後悔している自分がいました。ワクワクから不安への急転換。勘弁してくれよ、と。

    それからは毎日のようにYouTube動画を漁り、自分の決断を肯定してくれる意見を探しました。ですが、どれも説得力はなし。

    でも、僕の焦りを置き去りにして、建築はどんどん進んでいきます。Pinterestを元ネタにした設計図も、担当営業さんの早業で一気に形になっていきました。

    この頃になってやっと僕も知識がつき、住宅業界には「大手ハウスメーカー」「設計事務所」「設計士のいる工務店」「設計外注の工務店」があることを知りました。

    ……うちの工務店、外注か……。

    解体現場で目撃した『嵐の予兆』

    仮住まいに引っ越してまもなく、古アパートの解体が始まりました。

    (両学長にだって間違いはあるはずや……!)

    そうやって安心材料を探しつつ、解体が進むアパートを見学に行ったのが、ちょうどお昼時のことでした。

    周囲には足場が組まれ、シートに覆われながら2階の中が丸見えになったアパート。長い間住んだアパートを少し寂しい気持ちで見つめていました。

    作業員さんへ挨拶でもと思い、お菓子とジュースを持参していたのですが、ふと現場に「人気(ひとけ)」が無いことに気づきました。動かないショベルカーと、「立入禁止」と書かれた紙が付いた1本のロープ。それが結界のようにたるんだ状態で張られているだけでした。

    しかし、その時僕は見てしまったのです。

    そのロープが括り付けられている1本の鉄のポール。その上が受け皿のような形になっており……なんと灰皿。しかも、すでに吸い殻が山積み状態で、数本は地面に落ちていました。

    「またタバコか……我が家の鬼門だな……」

    嫌なものを見て静止している僕の耳に、ふいに野太い笑い声が飛び込んできました。

    声の方に目をやると、隣家の玄関前の道路に寝そべって、タバコをふかしている作業着の男が二人。ちょうど日陰になっていたので、そこで昼休憩をしていたようでした。二人は会話に夢中のようで、僕の存在には全く気づいていません。

    なぜか僕は忍び足で後退りし、その場から立ち去りました。

    今思えば、新居という船出の直後に「嵐の予兆」を感じた瞬間だったと思います。

    その日の夜、僕は担当者に連絡を入れ、状況を報告しました。

    「休憩中とはいえ、隣家のど真ん前に寝そべってタバコをふかして大笑いはないでしょう!今後その場所で近所付き合いをしていくのは僕なんですよ!」

    冷静を保ちつつも、僕の心の中は怒り心頭でした(妻にはまだ言えませんでしたが)。

    担当者さんはすぐに対応してくださいました。しかしその後も、解体時に隣家のベランダへ瓦礫の破片が当たって傷がついてしまい、解体業者が弁償するというトラブルが発生。構わないと言われつつも僕も隣家へ謝罪に行きました。

    「家を建てる」ということは、ローンだけじゃなく、こういう面倒ごとも全部背負っていくことなのかもしれない。

    地鎮祭とケジメ

    5月の終わりに近づき、季節は春から夏へ。さすがにあの現場の灰皿は撤去され、あっという間に敷地は更地になりました。

    息つく暇もなく迎えた、地鎮祭。

    前日の雨でぬかるんだ赤土の一角に砂が敷かれ、紅白の幕が張られたテントが立っていました。僕は妻と子供と3人で参加しました。

    式が滞りなく進む中、担当者さんをはじめ、工務店の社長さんや施工責任者の方々が「おめでとうございます!」と笑顔で拍手を送ってくださいます。

    ですが、すでに僕の中では「不安」が「希望」を完全に上回っていました。

    (もう物語が始まってしまった。もう後には引けない。やるしかないんだ……)

    今日が人生で一番若い日

    地鎮祭の頃には、両学長の動画視聴も相当な本数に進んでいました。

    40代の僕が、田舎に住宅ローン35年で新築を建ててしまう。ちなみに貯蓄は200万円といったところ……。自分がとんでもない領域に足を踏み入れてしまったことが、確信に変わっていました。

    この頃にはもう、両学長のことしか信じられなくなっていました。

    「土地があるから家を建てなおす」と軽いノリで始めてしまったこと。今更「実はヤバいかもしれない」なんて妻には言えません。

    それでも、ここまで来てしまった以上、後悔して立ち止まっているわけにはいきません。

    そんな僕の心に刺さったのが、あの金言でした。

    『今日が人生で一番若い日です』

    この言葉が、今に至る僕の道標(みちしるべ)になるのでした。

  • 『家は負債!?』無知だったぼくの家づくり

    工務店が決まり一息ついた僕。妻の願いを叶えつつ、自分の理想の、美しく完璧な家を探求しはじめました。

    「塗り壁で白!広々玄関!20畳以上LDK!アイランド型キッチン!スキップフロア!妻の個室!自分のロフト!」

    これ、前回も触れましたが、当時の僕は現実を知らなさすぎでした。


    自分自身の家の価値観

    今思えば、自分が家造りにハマったのには原因がありました。

    僕の実家は、古い家が点々と建っている超超山奥の田舎にあり、そのなかでも格段に古く……ボロかったのです。

    小学生当時、今から35年前でも築50年はゆうに超えていました。昔ながらの古民家ならまだ味もあるでしょうが、小さな小屋をツギハギしながら大きくしたような家で、外壁の途中からトタン(今の若い人は知らないかも)の色が変わったりしてた。おまけに地すべり地帯だったようで、年々少しずつ傾いていて、色んなところに隙間ができていました。

    それなのになぜか、親同士の勝手な話し合いで、なんと我が家を塾代わりに使うことになってしまって。講師を呼び、週一で同級生4人が我が家に集まって講義を受けるという悪夢

    トイレは古すぎて(もちろん非水洗)使わせてあげられず(というか恥ずかしすぎて)、2時間の講義中は男子は外で立ちション。たまに大きい方で仕方なしにトイレを貸すときは、自分がお腹が痛くなり、冷や汗かくくらい不安でした。

    おまけに2階の廊下の床には2センチほどの隙間ができていて、休憩中に同級生がその隙間から階下へお菓子を落として遊ぶ「ゲーム」を開発したりしてました。当時の僕はそれが恥ずかしくて、恥ずかしくてしかたなかった。あとから聞いたら僕の兄弟も同じ思いをしていたようです。

    だから、いざ家を建てるとなったとき、「子どもが気軽に友達を呼べる!なんなら自慢できる家にしたい!」とも思いはじめていました。


    工務店との順調なやりとり(?)

    僕の担当の営業さん、Aさんはとても物腰が柔らかく、話も上手でこちらの要望をすぐに「できない」とは答えず。設計は僕の話を聞きながら、「こんなかんじですか?」と手書きで図面に修正を加えてくれていました。

    同時に土地の測量や古物件の取り壊しの段取りなど、つつがなく進んでいきました。

    (当時は「営業さんが設計?」という違和感は皆無だった。)


    世帯年収という基準

    前回のブログに書いた通り、建築費の知識が全くなかった僕でしたが、工務店選びでの学びから費用を3,000万円に設定し、当初から

    「この金額を超えた時点で必ず止めてください!」

    とAさんに強くお願いしていました。Aさんも「わかりました。その予算で頑張らせていただきます。」と真剣にこたえてくれていたので僕は安心していました。

    僕は看護師、妻は保育士。
    『共働き夫婦の価値(世帯年収)』は800万円だった。

    Aさんから「住宅ローンは年収の5〜7倍が目安」と聞いていた僕は、

    『じゃあ4000万くらいなら余裕!』

    と楽観視する始末。(世間知らずにもほどがあります)


    家より先に、猫の家さがし

    2年以上暮らしたボロアパートがいよいよ解体される日が近づき、妻の「少しさびしい」なんて言葉を聞きながら、僕は楽しい別れを味わっていました。

    ただ、着工から完成まで約6ヶ月。その間の仮の住まいを見つけなければなりません。それが結構難儀でした。

    理由はそう、にゃんこ

    3匹のうち老衰で2匹が旅立ち、残ったのは1匹でしたが、猫と同居できるアパートがなかなか見つからず。たまたま見つかった物件に滑り込めたのですが、「まさか事故物件か?」なんて疑っていたら、不動産の方から理由が聞けました。

    ちょうど壁紙などの室内リフォームをする予定だったらしく、「半年なら貸してもいい」と言ってくださったそうです。これ、ペット飼ってる方、意識しておいたほうがいいです!最近ではペット可の物件も増えていますが、「期間限定」となった場合、早めに探しておかないと本気で焦りますよ。今回は運が良かったです。(うちのにゃんこが幸福の招き猫なので当然です。)


    YouTubeの善悪

    Pinterestで理想を貪った僕は、今度はYouTubeで情報をあさり始めました。

    「〇〇住宅で建てたリゾートホテルのような〇〇円の家」とか観ながら、「僕でもこれくらいなら建てられたな」なんてまだまだ余裕。

    そんなとき、画面に流れてきたのが……今では登録者数1000万人超!「マッチョライオンさん(両学長)」の動画でした。当時はまだ今のようにリベ大も発展しておらず、動画自体もパワポ形式だったと思います。

    「家は負債」

    「……え?」

    僕は画面の前で固まりました。

    「いやいや、待て!家だぞ?これから建つんだぞ!そんなわけない!」

    そう思いながら、必死に動画を見続けることになるのです。賃貸派の両学長の言葉に

    「いいのか?」「悪いのか?」

    自分の中で意見がぶつかり合う、多重人格者の完成でした——。

  • 自分の無知

    家庭を持つなんて、全く考えもしなかった僕。
    当時の僕には、家についての知識なんて一ミリもありませんでした。

    独身時代から住んでいたのは、父が残した土地と、その上に立つ築40年の2階建てボロアパート。
    大好きなにゃんこ3匹との平穏な暮らししか頭になく、当時の優先順位は完全に「家 < 猫」でした……(キモいですよね笑)。

    結婚後もしばらくは、このアパートの2階に夫婦と猫たちで生活していました。
    しかし、老朽化による「床の踏み抜き未遂事故」が発生。
    これをきっかけに、必然的に家の建て替えが決まったのです。

    この頃の僕の一戸建てに対する認識といえば、だいぶ昔に友達から聞いた「40坪で2000万円くらい」という大雑把な知識のみ・・・。

    当時の僕は、Pinterestを見ることが『家づくりの勉強』だと思っていました。

    無知なままの僕が描いた理想は、最低でも「延べ床40坪で、LDK20畳を切らない」
    理由は単純。Pinterest信仰です(笑)

    「今はこんなのが外観が流行ってるのか!」
    「なんだこの洗練されたキッチンは!」
    「こんなリビングなら、ソファで一生過ごせるわ!」

    完全に昇天状態(笑)のまま住宅展示場を回った僕の瞳は、とにかく「より斬新!よりオシャレ!」なものを追いかけていたように思います。

    こうして夫婦で展示場を回った結果、最終的に2社の工務店が候補に残りました。

    • A社: 吹き抜けのある開放的なリビングに、おしゃれなキッチン。階段で上がれるロフトなど夢が満載!営業さんも一つ一つ説明してくれて、話しやすく、すぐに打ち解けました。
    • B社: シンプルで真っ白な外壁と、それを引き立てる杉板の色使いが目を引くデザイン。内装も落ち着いた雰囲気で、コンパクトながらLDKの配置がとても機能的。営業さんは物静かで、僕たちの見学を静かに見守ってくれるタイプでした。

    夫婦の意見は、最初見事に割れました。
    僕は広々リビングのA社。妻は外観が好みだったB社でした。


    家への思い

    猫優先の僕でも、ひとつだけ「絶対に譲れない想い」がありました。

    それは、結婚前に大阪に住んでいた妻に対する気持ちです。
    慣れない地方都市へと移り住んでくれた妻に対して、どこかでずっと「申し訳ないな」という気持ちがありました。

    だからこそ、絶対に妻が喜ぶ家にしたい。

    それだけは、何があっても曲げたくない譲れないラインでした。


    工務店選考

    家づくりの情報を集め始めてすぐ、新築の注文戸建てはすでに「3000万円が当たり前」という現実にぶち当たりました。
    自分の認識の甘さが一気に露呈した瞬間です。

    「まあこれくらいなら大丈夫だろう」と予算を3000万円に変更し、選考を進めました。(まだまだ知識不足全開で笑。)

    【A社の場合】
    予算3000万円と40坪の希望を伝えると、「それでいけます!ぜひやらせてください!」と即答。
    その後も僕の意見に対して「その提案、いいですね!」と背中を押してくれ、一緒に家を作っている感覚がとても心地よかったのを覚えています。

    【B社の場合】
    一方のB社は、見積もりと設計の段階から費用が発生し、その設計案が完成するまでに1ヶ月かかりました。
    お金を払った上に連絡もなく、待たされた感がありました。結局提示された提案は『31坪・16畳』というコンパクトなもの。やはり当時の僕には『小さい家』としか感じませんでした。
    そしてこちらは「全て込み込みで3300万円ですが、出せますか?大丈夫ですか?」という投げかけでした。

    金額が上がろうが、提案が遅かろうが、僕は「妻の意見を最優先する」と決めていました。
    だから、最初からB社推しだった妻が選ぶ工務店は、間違いなくB社だろうなと想像していたのですが……

    意外にも、妻が選んだのは「A社」でした。

    その決め手は、本当にささいな理由だったのです。

    ……『タバコ』でした。

    妻は昔から父親の影響で、タバコの匂いがこの世で一番レベルで大嫌いだったのです。
    たまたま、B社の営業さんがスモーカーでした。最終的な決め手は、なんとそれだけだったのです。

    人の価値観

    意外というか、「そんなことで決めていいのか!?」と僕も動揺しました。
    でも同時に、「人ってこういう理由で動くものなんだ」と大きな学びを得た瞬間でもありました。今思えばそれくらい人の価値観は繊細なんですよね。

    しかし、あの時の僕は、まだ本当の意味で分かっていなかったのです。
    工務店の良し悪しというものを。

    あの時の僕は、ただ家づくりを選んだつもりでした。
    でも本当は、人生の大きな分岐点を選んでいたのかもしれません。

    本当の家づくりは、ここからでした。

    家の基礎が完成した頃。僕はようやく、家づくりの勉強を本格的に始めることになります。

  • 看護師なのになぜ?仕事をつづけながら畑違いの資格に挑むのか!

    看護師として働く苦悩

    看護師として働き出した僕でしたが、やはり「看護師あるある」の分厚い壁にぶち当たりました。

    20年近く前の看護業界は、今みたいに看護師や看護学生が守られてたわけではありませんでした。パワハラ、セクハラが当たり前にあり、看護学生は無視(僕の感覚では空気以下の存在)でした。

    仕事を一人前にこなせるまでには、各病棟に何人かはいるキツイ先輩方(上弦の鬼のような)の攻撃に死なずに耐える必要がありました。(※もちろん頼もしい柱のような方もおられました)

    なんとか存在を認めてもらっても、命を扱う責任と、夜勤ありきの激務。おまけに女性社会に30過ぎの男が入っていく難しさ……。

    「なんやこの世界は!」

    仕事には慣れても、休日まで持ち越す憂鬱感や、心と身体が離れていくような感覚があり、「これからこれがずっと続いていくのか……」と絶望する日々。

    心の真ん中にある薄暗い影が、この仕事をはじめて今日まで消えることはありませんでした。

    1つ目の光:趣味の『登山』との出会い

    そんな鬱々とした日々を和らげてくれたのが、今現在も続けている僕の趣味『登山』でした。

    きっかけは一人旅での体験。車で北海道を回っていた時、ふと登った利尻岳。高低差1,700mは初心者には相当にきつかった……。

    でも、山頂についたときのなんとも言えない晴れやかな気持ち!いつのまにか心の中の影が消えていました。

    下山で標高が下がるたびに、黒い雲海が自分の身を包んでいきましたが…… 「帰ったらまた仕事か」

    この体験を機に、僕は登山の魅力にどんどん没頭していったのです。

    2つ目の光:男前すぎる妻との出会い

    僕は男でして、プライベートでは女性が大好きです(※プライベートでは!)。

    そんな登山繋がりで知り合った女性――そう、2つ目の光である「妻」と出会い、結ばれました。

    なぜ彼女が「光」なのかというと、ちょうど知り合ったのが、当時の職場を退職しようかと悩んでいた時期だったからです。

    「長く居た職場をやめるのはもったいない……」と悩んでいた僕に、彼女は軽くこう言いました。

    「私が食べさせてあげるから辞めたらいいじゃん。」

    これまでこんな男前な発言をする女性とお付き合いしたことがなかった僕は、一瞬で運命を感じてしまったのです……「だいぶ情けないな。」

    そして僕はその年、思い切って職場を退職しました。

    3つ目の光:天国の父へ繋ぐ「子供」という存在

    「登山したいから結婚はいい!」と、見合い話まで持ってくる父親をつっぱねていたのが、妻と知り合う4年前のこと。その年、事故で父が他界しました。

    子供が大好きで、スーパーで買い物中の幼児に話しかけては怪しまれていた父。孫の顔を見せることが親孝行だったのかなと、申し訳なく思っていました。

    それから4年。わたくし、妻と知り合い……なんと授かり婚してしまいました! 光はまさに「子供」だったのです。「びっくりしたわ!」

    そんなこんなで建ててしまったマイホーム

    地方都市が縄張りの僕。ちょうど兄弟たちがそれぞれマンションを買ったり、家を建てる話が出てきていて・・・(僕以外兄弟皆金持ち)

    父から受け継いだ土地がもったいないからと、ふらふら住宅展示場に通い、「すげえ!キラキラしてる!」なんて思いながら、あれよあれよという間に、勢いで契約書に実印ポチンしてしまいました。

    これが、これから僕の人生の歯車を狂わせる(奮い立たせる)出来事になろうとは……。 「なんも考えてなかったんじゃ!」

    次回、「ちょっとまてよ……」へ続く!

  • はじめまして!取り柄なし!40代看護師がこの時代を生き抜く術を獲得していくリアルな記録

    はじめまして!取り柄なし!40代看護師がこの時代を生き抜く術を獲得していくリアルな記録

    「適当に仕事して、趣味を続けられたらそれでいいや…」

    そんなふうに、淡々と日々を過ごしていた40歳目前の僕。

    しかし、デキ婚を機に家を建て、子育てに追われるようになってから、人生は一変しました。

    親にも「一生結婚しない!」と宣言していたのに、自分の思い描いていた人生の軌道から一気に逸れ始めたのです。

    結婚!出産!育児!マイホーム!
    そして、病気!介護!

    大病院の倒産や、AI・ロボット技術の進化が目まぐるしい今の時代。
    「そこそこ安定」といわれる看護職ですが、これから先の未来は誰も読めません。

    人一倍変化に臆病な僕ですが、病院の給料だけに頼るのではなく、自分の力で人生の防衛線を張り直さなければいけない——そう強く『恐感』したのです。

    家族を守り、この激動の時代を生き抜くために。

    40代・取り柄なしの看護師が、「法律・お金・現場技術」の武器(資格)を獲得していく泥臭いリアルな記録を、ここに残していきます!